箱根山を中心とする戸山公園は、都内でも桜の名所として知られている。
桜が満開になると箱根山の頂上では桜に囲まれる。
江戸時代の戸山一帯は尾張藩下屋敷があり、「戸山荘」と呼ばれていた。
広大な面積で約43万m²にもおよび、大名屋敷の中でも最大の規模であった。
戸山荘は2代藩主光友によって作られたが、死後荒廃し、元禄大地震により、建物が壊れると撤去された。
しかし、約100年後の11代将軍家斉の時代に再興され、家斉もこの庭園を気に入って5回来訪している。
敷地の8割は池泉回遊式庭園であり、庭園中央では築山が行われ、近隣の大人に銭を渡して土を運んで作ったとある。
これが現在の「箱根山」である。小田原宿を模してつくった、御町屋という町並みまでがあった。
庭園には「龍門の滝」があり、現在の早稲田大学学生会館の下(国立感染症研究所の裏)から遺跡が発掘されている。
その後幕末になると再び荒廃、明治維新後の1872年(明治5年)には明治政府により公収され、明治7年には陸軍の敷地となり戸山学校が置かれた。
その後第二次世界大戦終戦までの74年間陸軍の用地として、陸軍第一病院(当センター)、演習場として使われた。